等価交換

いきなりですが、私はマンガがまぁまぁ好きです。いろいろマンガを持っていますが、最近買って面白いなぁと思ったマンガが、今流行っている「鋼の錬金術師」です。マンガだけに留まることを知らず、最近の商業主義に流されて、とでも言いましょうか、アニメ、ゲームそして映画まで決定している大型マンガです。ノリで言うとワンピースのような感じですが、ストーリー展開と物語の根底に流れるモノは少年誌とはいえあなどることはできないでしょう。
この「ハガレン」の根底に流れるテーマは、ずばり「等価交換」です。そもそも錬金術とは何でしょうか。

yahoo!辞書より
れんきん‐じゅつ 【錬金術
紀元一世紀ごろ以前にエジプトに始まり、アラビアを経てヨーロッパに広がった、卑金属を貴金属の金に変えようとする化学技術。さらに不老不死の仙薬を得ることができるとされ、呪術(じゆじゆつ)的性格をもった。科学としては誤りであったが、多くの化学的知識が蓄積され、近代化学成立の基礎資料となった。アルケミー。

すなわち、物質的価値として最高の位置にあった"金"に他の物質を変えてしまおう、としたわけですね。一方、このマンガでは「質量が1のものからは同じく1のものしか作れず、水の性質のものからは同じく水属性のものしか作れない」、すなわち「等価交換」というルールのもと、子供にも分かりやすいようにどんどん派手なパフォーマンスをしていくわけです。


この「等価交換」という言葉は、日々を過ごす上で常に頭の片隅に置いておかなければならない言葉のような気がします。ようするに「何かを手に入れれば何かを失う」ということですが、これがなかなか分からないものです。簡単な例では、遊んでいる時は楽しさを得ているわけですが、時間を失っています(お金も失うことが多いかも)。
それとは逆に、「何かを失えば何かを得る」こともあります。
今こうやってブログを書いているわけですが、この間にも時間が失われています。しかしそれに変わる「何か」を確実に得ているはずです。ただ、残念なことに得たものに気づかないことがかなり多いような気がします。それに気づくか気づかないかが大人と子供の差なのかも(この区別は適当ではないと思いますが)。
例えば大事な人を失って得るものは、悲しみという感情ですが、同時に人が同じ環境にある時にその人の立場を分かってあげるという経験を得ているはずです(安易な考えでしょうか)社会人になって、時間を失って、初めて時間の大切さというものを分かることができるのでしょう(こちら)


「等価交換」


んー、難しい。